半年前の杞憂

半年前から雑誌を取り始めた。気になる連載があったから。
そのくせ、なんやかんや忙しく、ツンドク(もう死語か?)だった。
最近時間ができたので、まとめて読む。細切れの連載物は実は苦手。興味に任せて一気に読める環境に図らずもなったことを、静かに喜んでいた。
読む速度というものは、読み慣れると加速するのか。加速すれば、ちょくちょく他のページもつまみ食いしたくなる。
するとどうだろう。
社会系ニュース系の雑誌だ。時事問題を新聞より深掘りしている。取り上げる対象をニッチすることもある。そうかその切り口があったかとはじめは妙に感心していた。

それが、そのうち違和感に浸食されていく。その違和感の正体は、あれにもこれにもついて回る悲壮感か。
日本人は肯定的な文章より、否定的、ネガティブなものの考え方を喜ぶ。出版社も売れなければ商売が成り立たない。“藪睨み”的な文章が並ぶ。まるで、日常の中の細やかな幸福を、くだらないと嘲笑うように。
そこまでは、すぐに思い至った。
いや、それだけじゃないんだ、この違和感は。
最近なにがあった。
外出自粛。ソーシャルディスタンス。会話、会食、合唱…みな控えて。
そうだ、半年前、いくら「働き方改革」、「家事の分担」を訴えても、長時間労働の楔は人々を萎えさせていた。人々がいくら実直に技術を身につけても、AIは軽々と凌駕する能力を身につけていく。その空気の中、社会を斜めに読み解く記事を詰め込んでいた。
しかし、今はどうだ。
年中無休より営業自粛。友だちとActive Leaningより臨時休校。長時間労働より、痛勤電車より、外出自粛なのだから。
半年前の雑誌が煽る不安は、今、この未知の生物の吐き出す重々しい恐怖に比べようものなら…。
日常がなんと有り難みのあるものだったのかを思い知る。